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日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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 : 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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種別: 単行本
EAN: 9784480814968
ISBN: 4480814965
レーベル: 筑摩書房
製造: 筑摩書房
Number Of Pages: 330
出版日: November 05, 2008
出版社: 筑摩書房
Studio: 筑摩書房




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カスタマーレビュー
カスタマーのオススメ度:  out of 5 stars

Rating: 1 out of 5 stars - 日本文学フェティシズムの愚作

 正直に言って、かなり失望した。一言でいえば、この作家の日本語フェティシズムと日本近代文学を過度に重視した憂国感情のアマルガムで、最後はほとんど絶叫に近い。

 水村は「普遍語」、「国語」、「現地語」の3つを区別し、近代において「普遍語」を翻訳する過程で、国民国家の「国語」が生まれてきた過程を描写する(このこと自体は大筋では常識に近い)。「普遍語」というのはラテン語、ギリシア語、中国語、アラビア語などで、聖典の言葉でもあったものである。近代においては、この「普遍語」の地位を英語・フランス語・ドイツ語の3ヶ国語が占め、ヨーロッパの知識人は各言語を読みながらも、自分は自国語で書く、という習慣を身につけるようになっていくが、それが現在、英語の一人勝ちといった状況になり、しかも、そうした状況は被植民地の人々の英語志向や、インターネットの普及によって、衰える兆しのない勢いで拡大している。水村は、そうしたなかで、「叡智を求める人々」が自国語で読むのをやめ、より多くのすぐれたテクストが収蔵されている(と思われる)英語のアーカイヴ――これはインターネット上の電子化されたテクスト群として実現されつつある――を読むようになるのではないかと論じる。その時、自国語で書かれたすぐれた文学は読まれないものとなり、その国語はたんなる「現地語」になりさがる。日本の場合も基本的な趨勢としてはそうなのだという。 ... Read More



Rating: 2 out of 5 stars - 村上春樹を語らずに日本文学の滅亡が語れるのか?
英語世界における日本語と日本文学の滅亡と言う、面白くかつ大事な点について語った大切な著書であると思う。
しかし全体の論理の展開と引例が極めて個人的な体験に依るもので非常に偏りがあり、「叡智、叡智」と何度も繰り返す割には、果たしてどれだけの叡智に基づいているのかやや疑問がある。そう言った意味であまり学者色を打ち出そうとせずに、あくまで小説家が自分の作品作りのpremiseとして書いたエッセーだと思って読めば、面白い「洞察」が確かにそこかしこにあるので相反する意見を自分の中で持たずに読めただろう。

例えば著者は少女時代に近代文学のみをアメリカで読んでいたせいか、(サイデンステッカーやキーンによる戦後日本文学の世界への紹介と貢献には触れていたが)戦後日本文学の貢献が大きく抜けている。現代では特に村上春樹が果たした日本文学への貢献に一切触れずに日本文学が滅亡しようとしている、という論を展開するとはどういうことかと危ぶまれる。(他の日本の小説家の皆様はどう思われているのだろう?)それとも村上春樹の場合、英語でもともと書くことから始めた彼の文章は、川端の文章のように、訳しきれない日本文化の真実をあまり含んではいないということだろうか。

例えばNew York Times Book Reviewで、村上文学について、Laura Millerが「読み進めているうちに、何か大切なものが見つかる」と書いた時、あるいは、現在でもロシアの圧政下にある旧ソビエト連邦構成国のどこかの国(忘れたが、グルジアであった可能性さえ大きい)の読者が村上作品について「苦しい時に魂を解放してくれる」と語る時、それこそが言葉を超えたグローバルな何かを、日本文学が達成し得た瞬間なのである。 ... Read More



Rating: 5 out of 5 stars - 科学だって英語ですまない
本書のテーマは、「英語が<普遍語>として圧倒的な力を持ってきている状況下で、日本語が<国語>として生き残れるか」である。「英語が重要」であるか「言語の多様性を守れ」であるかの単純な意見の表明が多い中、さすがは、12歳の時に父親の仕事の都合でアメリカにわたり、しかも、中学生の間は毎日日本文学全集を読むことだけが楽しみであった、という著者、現象と問題点を的確に捉えて、意見の違いを越えた論陣を張っている。著者の思いのたけが溢れ出ている文章は迫力があり、一気に読んでしまった。

著者は言語を<普遍語><国語><現地語>という三階層でとらえている。<国語>は<現地語>が国民国家の成立期に国家との相互作用で標準化して作られたものである。しかし、一旦<国語>ができると、各<国語>に対応した文化・文学が成立する。それは、<現地語>では成立し得なかったものである。我々が無意識に使っている<日本語>は<国語>と<現地語>の二つの面を持っており、<普遍語>としての英語の台頭(言語学的には何の必然性がないが、英米の力と、そして、インターネットの普及期に頭一つリードしていた偶然による)の時代に<国語>としての側面が大いなる危機に直面していると著者は認識する。

このインターネット時代では、知的レベルの高い人々は<普遍語>を読むことができるのが当然になってくる。そうすると、マーケットの圧倒的に広い<普遍語>で彼らが表現するようになるのは、これまた当然になってくる。その結果、<国語>での表現はどんどん貧弱になり、文学を支えられなくなる。そして、やがては近代日本文学ですら、その価値を理解する人が少なくなり忘れ去られる。これが、著者の言う、「日本語が亡びるとき」なのだ。もちろん、<現地語>としての日本語は残るだろう。しかし、文化・文学を失った言語なぞにどれだけの価値があろうか。近代日本文学を心の底から愛する著者には、その亡びが耐えられない。危機感を持たない日本人が情けない。その気持ちが、冷徹な分析と論理に裏打ちされて書き綴られている。 ... Read More



Rating: 5 out of 5 stars - Tough love of wisdom 〜 “叡智をもとめる”ことの不合理さ
本書の主題をひとことで言えば、“書きことばとしての〈国語〉のはかなさ(vulnerability)”であるとおもいます。 本書により、〈国語〉とは、特定の政治的、経済的、地理的条件下でのみ、圧倒的な〈普遍語〉(異国の書きことば)の威力に抗して存続可能であり、その存在は、みながおもっているより、はるかにあやうい、とおしえられました。 現在、とくに、internetを介した英語の氾濫によって、いままで〈国語〉の存続をささえてきた諸条件が、急速に崩壊しつつあり、はたして、日本語(いや、もう、世界中のあらゆる〈国語〉)に未来はあるのか? との問いかけが、本書の最大の焦点とおもいます。

本書で展開される、〈国語〉の発生、成長、衰亡についての考察は、評者にとって斬新な視点満載であり、刺激的で、その説得力もかなりのものでした。 また、その考察にもとづき、先の問いへのこたえにせまる著者の姿勢にも、圧倒的な迫力を感じます。 で、そのこたえは? ひとことでは言えませんが、評者は、本書を読んで、“もし、著者の主張がただしければ(評者は、おおむねただしいとおもいます)、現在、世界中でおおくのひとたちが、〈普遍語〉を読み、書き、まなびつづけることで、結果的に、自分たちの〈国語〉を存亡のふちへ追いやっている”、ことを理解しました。 (ひょっとして、あの 〈覇権語〉呼ばわりされる英語でさえ、実は、もう、とうに〈国語〉としては放棄され、全世界に〈普遍語〉のいけにえとしてささげられているのでは? という妄想すら湧いてきました。 ちなみに、native Englishとは、本書でいう〈現地語〉だったのですね。)

問いのこたえに対する、著者自身の立ち位置は、本書のもうひとつの焦点ですが、これは、かなり微妙です。 日本近代文学へのふかいおもいいれのある著者が、みずから出したこたえを、できれば否定したいとおもっているのは明白に読み取れます。 ただ、その一方で、“すべては、人類が、世界規模で「叡智をもとめる」ことの当然の帰結であり、(「叡智をもとめる」ことこそ、人間のもっとも根源的な欲求である以上、)そのこたえは受け入れるしかない”、といった諦観も行間に見えかくれします。 ... Read More



Rating: 5 out of 5 stars - 「ことば」に対する深い洞察力に脱帽
「ことば」というものに興味をもち、「叡智を求める人」には是非、読んでいただきたい本である。「新潮45」に掲載された論文の評判が高く、本になることが予告されていた。出版を待って早速、手に取ったが、噂に違わぬものであった。本書のように「ことば」に対して深い洞察力をもって描かれた本をほかに知らない。

著者は〈普遍語〉〈現地語〉〈国語〉という概念を提起する。かつて英語、フランス語、ドイツ語もラテン語を〈普遍語〉とする〈現地語〉であったが、国民国家の形成の過程で〈国語〉となった。「西洋の衝撃」により、開国した日本は、既に例外的に完成度の高い日本語を有していたが、国民国家の形成にともない〈国語〉として成熟していった。
そして日本語という〈国語〉は、科学、技術、文学などあらゆる分野で我々を世界の図書館に出入りすることを自由にしているかのようにみえる。
一方、著者は戦後、特にインターネットの時代になって英語が世界の〈普遍語〉となりつつあることを示す。この趨勢には逆らいようがない。このような状況のなかで著者の提起する英語教育のあり方は興味深い。

著者の日本語に対する深い愛情が感じられる著書である。「日本語が亡びるとき」は日本文学そして日本文化の伝統が亡びるときなのであろう。なお「漱石論」としても秀逸である。





 

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